私が若かった頃、ふとしたことから「能面」に興味を持ち先生にお願いして教えてもらうことになりました。しかし左利きの私は怪我をするからとなかなかお許しがでませんでした。工具はすべて右利きにできているからです。苦労の末、やっと人並みに工具が使えるようになり一面を完成させました。

能面を作ることを「打つ」といいます。打つというと金属をたたいて作るイメージでしょうが、なぜ木彫を打つというかは、室町時代の作家が従来の仏師とは別の系統であることを誇示したためといわれます。そして能面打師は後世いうところの“中間表情”という技法を創作しました。人はよく無表情な人のことを「能面のような人」と形容しますが、中間表情をした能面は一見無表情に見えます。しかしわずかな面の動きで、喜びや悲しみなどに変化して見えます。面を手にとってやや上向かせる(テラスといいます)と笑ったように、面をやや下向かせる(クモラス)と泣いたようになります。

能についてこんな話も残っています。昭和34年フランス文化使節が来日した際、能を見て「死ぬほど退屈した」と放言して物議をかもしました。さらに彼らは「犯罪者を刑務所に入れるようで懲罰的だ」とつけ加えました。ところがその翌年フランスの王立劇団コメディ・フランセーズ一行が来日して能を見た時「死ぬほど感動した」と激賞したそうです。これはどういうことでしょう。能は一言でいうと大変無愛想な芸術で、自分からすすんで見ようという態度が必要です。鐘を撞木でたたくとき強くたたけば大きく鳴るのと同じで、能というのはそういう芸術なのです。

能はまた現在ではなく過去を演じるという不思議な演劇です。死者が自分の過去を既に完結した人生を、一人で静かに物語ることが中心になっています。能を見ていて眠むくなることもありますが、それはしばらくの間ゆっくりと中世の世界に遊んでいることと同じです。皆さんも一度楽しんでみてはいかがでしょうか。
 
    テラス クモラス          
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