6Bの西河裕子さんにお伺いしました。
<高台に越してこられたのは>
千里ニュータウンに住んでいたのですが、近くに両親が住んでいたのと子どもが小学校にあがるのを機に、昭和49年高台に引っ越してきました。当時このブロックで家が建っているのは私の家だけでした。阪急不動産の抽選会で当たってここに決めたのですが、入居当時はバスの便も悪く近くに買い物できる所もなく困りましたが、カブトムシやキリギリスやホタルもいて、時々朝靄もたって、自然豊かな所でした。周りに子供さんもたくさんいて、一クラスできるほどの人数でした。私の子どもも皆んなと混じって、野山を駆け回っていました。

<現在の暮らしはいかがですか>
これまでにぎやかな家庭でしたが、家族が少なくなって、何をするにも力がいることや、自分で生活のリズムを作る難しさを感じています。しかし高台の皆さんはとても親切で、また高台自治会の支援もあって、大変助けられています。特に「たかむろ会」で皆さんと親交ができ、皆さんの積極的な生き方を見習いたいと思っています。本当に立派な生活をしておられるのに驚いています。また「きずなの会」で、野々下先生の「できないことを嘆くのではなく、できることを喜ぶ」のお話をお聞きして、座右の銘にしています。

<ご趣味は>
生花のままで長く持たせられる「プリザーブド・フラワー」を、南梅ヶ丘の先生から教わっています。自由な色に染められますし、数年きれいなままを保っています。お礼やお見舞いや結婚式などにお贈りして喜ばれています。
またiPad(タブレット型パソコン)を使って、インターネットをしたり、動画を撮影したり、ワードで資料を作ったり、また離れている子どもとテレビ電話をしたりして楽しんでいます。タッチだけでいろいろできて楽しいですよ。

<自治会について>
高台は自治会活動に熱心に取り組んでおられ、私も助けられています。「見守られる者」にしていただいていますが、今後もよろしくお願いいたします。

 
お 隣 さ ん

6B 西 河 裕 子      さん