辻芙美子さん
出会いは七色
                                          
  辻 芙美子さん( 辻さんは平成22年3月11日に転居されました)

   フランケンシュタインは高台にもやってきます。
  時には、ひな祭りの頃、ある時は白酒ではなく、極上の
ドイツ白ワインをさげて・・・・。
 辻さん夫妻は、1980年9月から1年間、当時東ドイツの
ベルリン・フンボルト大学の日本語教師として赴任しまし
た。そこで出会ったのが、日本学科のフランケンシュタイン
助手28歳。お二人ともその名にびっくり。しかし助手は、公
私ともによく世話をしてくれました。ドイツ北部、バルト海に
浮かぶリューゲン島に実家があります。その実家に自動車で観光案内をしつつ、連れて行き、魚を釣って大歓迎してくれました。
 96年までに渡独7回を数えますが、第1回の滞独中、フンボルト大学のドイツ
語学習の仲間に朝鮮民主主義人民共和国の語学者がいました。チョン・ジ・
ドー(鄭之濤)氏で50歳くらい。初対面なのに、なめらかな日本語で話しかけ、
「30年ぶりに日本人に出会って話す日本語です」と、ほほえみました。しかし、
芙美子さんは「過去の侵略と戦争に対する罪悪感にとらわれ、いたたまれぬ
思いだった」とか。チョン氏のその後の消息はつかめません。
 滞独初体験は、文庫本「ベルリン・ラプソディー」(三修社1987年)にまとめら
れました。また、国民学校5年生当時の絵日記25日分が、「戦後はじめてのお
正月〜冬休み日記」(丸善京都出版サービスセンター、2001年)の形で出版
されました。
 2001年9月12日、つまり、9.11テロ事件翌日付夕刊に、「国民学校4年の同
級生6人と、57年ぶりに再会」という話が大きく出ました。家族で大阪から堺へ
疎開したので、級友達が、別れの手紙を書いてくれました。その48通を保管し
ていたのが、きっかけでした。
   先祖は250年前の江戸期、大阪大和川河口を干拓した両替商・加賀屋甚兵
衛。その事業拠点だった新田会所が、現在加賀屋緑地として、大阪市文化財
に指定。加賀屋は幕末に新選組の近藤勇局長から政治献金として、金15万両
(約34億円)を求められ、その調達に努めたという文書が大阪府大東市の資料
館に残っています。
 ところで、フランケンシュタイン助手は、その後、どうしているのでしょうか。
89年のベルリンの壁開放、90年の東西ドイツ統一を経て、彼の身辺も激しく揺
れました。今、地中海西端のスペイン領マジョルカ島パルマで、タイ料理店を経
営しています。
  07年10月、高台に来て、亡きご夫君の仏前に参り、大阪へも墓参。あの極
上のドイツ白ワインをお供えしてくれたそうです。

◇ 1934年神戸市生まれ、高台2丁目在住35年。
                                                         (文・2丁目  小澤明郎)          
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