お 隣 さ ん
     
            

         14B    中島 王子   さん


 
 

私は昭和49年の秋に、この高台に嫁してきました。
ちょうど地名が「金ヶ原乙張」から高台に改名された年です。
夫とは同郷で山紫水明の地 長良川鵜飼の岐阜です。その岐阜から招いた大工さんが、隣地に仮設飯場とドラム缶の風呂で泊り込みコツコツ建てたのが現在の我家です。

当時義母は、住んでいた太秦から電車とバスを乗り継ぎ、奥海印寺からは歩いて通いつめ、日々の大工仕事の片付けを手伝っていたとか。西乙訓高校辺りの竹林での筍掘りもよく見ていたそうです。当時牛蛙の大合唱の中、蛍が寝室に飛び込んできたことを懐かしく思い出されます。
それから40年の月日が流れ、高台には400軒の家が建ち、様々な人生劇場を繰り広げながら、住人の高齢化も進んでいるようです。

2人の娘も、大阪と東京に家庭を持ち、米寿の義母と古希前の夫と私の3人が残り、私たちも紛れもなく高齢者世帯となりました。
今後如何に元気で気持ちよく暮らしていけるかが課題と思っています。

見渡す風景も環境もどんどん変化していく昨今ですが、故郷はいつまでも懐かしく心休まる場所です。私が今なお実家に戻って覚える心地よさを、娘たちをはじめこの地で生まれ育った子供たちにもいつまでも残してやりたいと思っています。